時間をやりくりして働きながら地方での転職先を決めた管理人に、もう一つやらないといけないことが残されていました。それが、当時働いていた会社を退職する、ということです。今回は、この退職についてのことを書いていきます。
退職届
さて、嫁ターン移住に向けた転職活動に区切りがついた私は、内定をもらった翌日には当時の上司に退職の意思を告げることにしました。自分が辞める意向があるのであれば、早い方がよいと思ったからです。この辺のタイミングは、人それぞれ状況があると思いますので一概に早い方がよいとは言えないと思います。責任ある立場の人は、ある程度目の前の仕事を全うした後の方がよいと思いますし。この時の私は、20代後半でまだまだ一般社員の立場。いくつか重要なお客様を担当していたとはいえ、まだまだ担当レベルの話ですので、すぐに退職意向を表明しても問題なく、むしろ会社に迷惑を掛けないように、ある程度余裕をもって早めに退職意向を示した方がよいと思ったのです。今となっては忘れてしまいましたが、おそらく退職日はボーナスも考慮して2か月後くらいに設定して退職届を出した記憶があります。
会社からの慰留
当時の上司は、大阪営業所の所長でした。所長というのは当時の会社では課長クラスで、当時まだ30代後半の出世街道を走っているような方でした。私も普段から慕っており、よく営業戦略を語り合うような間柄だったと記憶しています。そんな所長に退職の意向を伝えるのは少し心苦しくはありましたが、当時の私は「嫁さんのためなら」という心境で、ある意味無双状態にありました。なのでこのくらいの心苦しさはなんとも思わないメンタルでした。人間やはり自分のために動く時より、誰かのために動くときの方が強固な意志を持てるのですね。私自身のための転職ならこういった心持ちにはならなかったでしょう。そういう意味でも嫁ターン移住は最強です。
定時が過ぎたあたりで所長に「少しお時間よろしいでしょうか」と定番のセリフで会議室で上司と二人きりとなり、いざ、退職の意向を伝えると、上司の表情が動揺したのを今でも覚えています。当時、私はその会社でも「頑張っている若手営業」ポジションでしたし、まさか私がこのタイミングで会社を辞めるなんて思ってもなかったような反応でした。社会的には、「第2新卒」という言葉が出始めたころで、若手の離職率みたいな話題も出ていたような社会情勢ではありましたが、今ほど転職が当たり前の世相でもなかったと思います。
そこからは直属の上司やその上の上司である営業部長も東京から出てきて、慰留が始まりました。居酒屋に連れていかれて、絶対に辞めない方がよいとか、お前ならこの会社でもっと上に行けるとかの定番の慰留がなされた記憶があります。
鋼のメンタル
慰留があることは当然予想していましたし、前述した通り、そこに対する心苦しさも当然持ち合わせてはいました。ただ、私は全くその慰留にひるむことはありませんでした。常に「大変申し訳ありませんが、もう決めていますので。」の一点突破でした。このセリフだけで全ての慰留を突破したと言っても過言ではありません。やはり一度退職を言い出したからには、慰留されて思いとどまったとて「あいつは一度辞めると言ったやつ」という烙印を押されてしまい、なかなかその会社でのキャリアは厳しいのではないかと思います。ですので、嫁ターン移住に限る話ではないと思いますが、一度退職を言い出したら最後、最後まで走りきる覚悟が必要と思います。
しかも、私の中では「嫁ターン移住」をやりきることが最もプライオリティの高い決定事項でした。自分の中で地方移住すると決まってしまったからには、もう今の会社では「物理的に」働くことが出来ません。もしかしたら、今の時代であればテレワークを駆使して嫁ターン移住が出来るのかもしれませんが、私が20代の当時はそんな時代ではありませんでした。北陸に移住することは、その当時働いていた会社を辞めることを意味していました。
このように、先に移住することを決めてしまい、そこから全ての行動を逆算したことが鋼のメンタルに繋がったと思っています。私の当時の心境は「だってしょうがないじゃん、地方に行くんだから」。しかも、対外的には「家族の事情で」ということで他人が踏み込みにくい理由を提示できるので、攻め込まれにくい。まぁ、対外的に嫁さんのせいにするみたいで少し悪い気もしますが、それで移住できるんだったら、少しくらい言い訳に使わせてもらいましょう!大義の前では、そのくらいの気持ちがあっても許されるはずです。
こうして私は、会社からの慰留をかわしつつ、無事に退職をすることが出来ました。